大嶋城

別名 那波城
     大島山城
付近住所 相生市那波大浜町25-11 現在 善光寺
2006/3/15 碑・案内板アリ 日本城郭大系


海老名氏 この大島城は、長治元年(1104)播磨海老名の祖、家季がここに城郭を築いたのがはじまりといわれています。城主海老名氏は、代々、矢野荘別名の下司職、矢野荘例名の地頭職等に任ぜられた豪族です。
建武3年(1336)、別名の下司職であった7代景知は、赤松円心に属し、弟の詮季や同族の泰知と共に白旗城にたてこもって、新田義貞軍と戦い功績をあげましたが、留守にしていた大島城は、新田軍に組した者によって焼き落とされたといわれています。
また、江戸時代中期の文書によると、「大島城は那波城とも言う。丘ノ台はニの丸で矢倉跡、今は畠となる」とあって、この城の規模を知る手がかりとなります。